ビーチサイドでオレンジの香りのするカクテルでも飲んだのかななんてあほな私は想像したのですが、この地名は、そんなノー天気な理由で命名されたのではありませんでした。
1944年9月、日本軍が守っていたパラオのこの島にアメリカ軍が上陸を開始しました。
この作戦以前には、上陸するアメリカ軍を波打ち際で攻撃し、結局上陸されてしまうと一斉突撃、その挙句の玉砕。これが日本軍の戦闘方法だったのですが、この島ではそうした方法はとられませんでした。
米軍の上陸以前に日本軍は、固い地面を掘り、敵が上陸した後にもしつこく攻撃を継続できるように巧妙に自分たちを隠し敵の勢力をそぐ戦法をとりました。
そのため、とりあえず上陸したアメリカ軍も、それまでのガダルカナルなどとは状況が違い、なかなか島の内部に入り込めませんでした。
もちろん上陸した海岸でも凄惨な光景が繰り広げられ、ペリリューの波打ち際は、アメリカ軍の兵士の血で染まりました。
オレンジビーチのオレンジは、血の色です。
日本の兵士がいわゆる南方で戦い苦しんだ記録は、評価の確立している作品として、大岡昇平の「レイテ戦記 (上巻) (中公文庫)
こうした戦記ものなど、今、この平和ボケの日本では、あまり関心がもたれないのでしょうし、戦後、軍事を教えることを避けてきたこの国では、政治がおかしくなったとき、結局割りを食うのが誰か、という認識すら、その芽生えをつぶしてきた。
「あなたとは違うんですよ」
と、むなしく突き放す人を総理に迎えてしまったこの悲惨ともいえる、この国のいま、その精神の枯れ野。
このあまりにも荒廃した精神の現在は、敵の死体を損壊する、兵士の感性の麻痺と等しい。
【週末・休日に読む本の最新記事】



