2008年09月06日

オレンジビーチ

オレンジビーチと聞いて何を想像するでしょう。

ビーチサイドでオレンジの香りのするカクテルでも飲んだのかななんてあほな私は想像したのですが、この地名は、そんなノー天気な理由で命名されたのではありませんでした。

1944年9月、日本軍が守っていたパラオのこの島にアメリカ軍が上陸を開始しました。
この作戦以前には、上陸するアメリカ軍を波打ち際で攻撃し、結局上陸されてしまうと一斉突撃、その挙句の玉砕。これが日本軍の戦闘方法だったのですが、この島ではそうした方法はとられませんでした。

米軍の上陸以前に日本軍は、固い地面を掘り、敵が上陸した後にもしつこく攻撃を継続できるように巧妙に自分たちを隠し敵の勢力をそぐ戦法をとりました。

そのため、とりあえず上陸したアメリカ軍も、それまでのガダルカナルなどとは状況が違い、なかなか島の内部に入り込めませんでした。

もちろん上陸した海岸でも凄惨な光景が繰り広げられ、ペリリューの波打ち際は、アメリカ軍の兵士の血で染まりました。

オレンジビーチのオレンジは、血の色です。



日本の兵士がいわゆる南方で戦い苦しんだ記録は、評価の確立している作品として、大岡昇平の「レイテ戦記 (上巻) (中公文庫)」があり、かの栗林中将の硫黄島に関しては、「十七歳の硫黄島 (文春新書)」があり近くは、ニューギニアの戦線を戦った「地獄の日本兵―ニューギニア戦線の真相 (新潮新書 273)」があるのですが、戦いの相手、アメリカ軍の兵士の記録で文庫本や新書など手軽に読めるものは、寡聞にして知りませんでした。

こうした戦記ものなど、今、この平和ボケの日本では、あまり関心がもたれないのでしょうし、戦後、軍事を教えることを避けてきたこの国では、政治がおかしくなったとき、結局割りを食うのが誰か、という認識すら、その芽生えをつぶしてきた。

「あなたとは違うんですよ」
と、むなしく突き放す人を総理に迎えてしまったこの悲惨ともいえる、この国のいま、その精神の枯れ野。
このあまりにも荒廃した精神の現在は、敵の死体を損壊する、兵士の感性の麻痺と等しい。

posted by スローレイン at 01:04| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 週末・休日に読む本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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