2011年11月02日

若くして死ぬ

TVでCMを見て関心を持ち見ました。




制作は2010年のようです。

あの戦争が終わって65年たった年にかのトム・ハンクスとスピルバーグがプロデュースして作った作品がこれです。


そのトム・ハンクスのプライベート・ライアンは繰り返し見ているのですが、そちらはヨーロッパ戦線、アメリカ軍、正確にいえば連合国軍なのでしょうが、戦う相手はナチス。
ある意味で、一歩引いてみることができる。

対して、このパシフィック、これは、舞台が太平洋戦線。
戦う相手は日本人です。
気持ちとして見る私も複雑です。


それにしても、アメリカ人ってどうしてこんなに戦争に深くこだわるのでしょうか?

当然、日本にも戦争を扱った映画はあるのですが、一部を除けばお涙ちょうだいのよくわからない感動目当ての作品。
正直あまり見る気になれません。

ただし、日本の作品でも、NHKのドキュメンタリーは別ですよ。
生き残ったかっての兵士が、生きてしまったことに対し、ある種の負い目を感じ、自分の人生がこれでよかったのかと常に問うことなど、言い方は違ってもライアンがミラー大尉の墓前に問うシーンを彷彿させます。



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2011年07月15日

鏡におぼろに映ったものを

地デジへの移行もまじかの2011年、そして7月、アメリカが独立し、フランスでバスティーユが襲撃された月

知がデジタル化され、一見潤沢に見える状況にもかかわらず、本当に求めるものは記憶の底に沈むおぼろげな残像




この言葉が、コリントの信徒への手紙にあることをやっと知りました。





ベルイマンの映像は、この情報過多ともいえる時代に埋もれ、私の記憶が確かなら、ヘリコプターの羽音とバッハの組曲2番の記憶とともにおぼろげな底に沈んでしまっているしかないのかもしれません。

広く求める、多くを知る、新しきを目指す


一方、深く
ひとつのものを、それもいにしえの

かって誰かが、誰だかは定かにはわからないのですが、
どこかで語った

言葉、音、映像

かって共有されていたのだから、今も、と思っても、いつの間にか失われてしまっていた



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2011年04月30日

白い服をはだけ

昼間、仕事をしている時も、朝、目覚めたときも、布団に入り眠りにつくときも、いつもなにかもやもやとした違和感があり、私にとっては意識というのは、常に疑問であり、否定といってもいいような、なにかそこから逃れたいような変な感覚です。




確かで、それが身体に感じられ、感覚としてそれから逃れられないと本当に意識するのは、目覚めの前のたぶん一瞬なのでしょうが、そこで記憶の底によどむ世界、私には、そのまどろみと求めとはかなさと・・・
その一瞬が、私には確かな意識


昼間の世界で身近にいる女性が昨夜は私と一緒に、夜の街をさまよい、白い衣服を自分でほどき、私を求めました。


昼間、思い起こすとおかしなことなのですが、私は決して据え膳を食わない男ではない。

でも、その時、求めていたのは、街を知ることで、女性ではなかった。


暗い街に、灯りが遠くに見え、同時にまぶしい太陽が照り、建物の階下から上に登ると、明るい広場があり、人々のざわめきが遠く聞こえます。
その通路は、ループ状になっていて、植物の緑が感じられます。

しかし、不思議なのですが明るい建物から外に出ると、そこは夜で、さびれた飲み屋街のような道が続いています。

彼女と会ったのそこかもしれません。


夜の街、私が欲していたのは、そこをさまようことで、女性と関係を持つことではなかった。


しかし、変な感覚なのですが、私が求めていないのに、まるで私の潜在意識を先取りするように女性は私に寄り添い、もちろん不快ではないのですが、今はもとめていないのだよ、と、心の底で思いつつ、私はその女性と歩き始めます。




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2011年03月07日

ERファイナル

中盤からは視聴率がいまいちだったらしいのですが、これほどのドラマはない




15年前、何をしていたか?

もし子供がいるなら、そしてその子供が仕事を始める年齢なら、15年前は、たぶん小学生。

その子が今は、男の子なら声変わりし背広とネクタイ、しばらく前に髭のそり方を教えた記憶はいつごろ?


振り返って自らは?
白髪が目立ち、顔の筋肉はたるみ、健康診断の結果に左右され、そろそろ定年とか年金とかの話題で盛り上がり、・・・


子供が女の子であるなら、利発で、周囲からの愛情を一身に引き受け、年下の子供から慕われ、ひまわりのように輝く子供、その子が、15年たち、美しく街を闊歩する。



ラベル:ER
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2011年02月28日

懐かしい顔ぶれ

ER15をまとめて見ています。




回想でグリーン先生が出てきて、レイがニーラに会いに来て、ジェリーが戻ってきて、エリザベスがいつの間にかアメリカで生活していて・・・

まだ全部見ていないのですが、ダグやカーターも出てくるみたいなのでワクワクというか早く会いたい。

懐かしい人たちとの再会、このERというドラマは、最初のシーズンからみているのですが、その時々の自分の生活に重ねあわせ、思い入れがひとしおではありません。

とくに好きというか、こんな医師、いや人物がいたら絶対に信頼でき、友人にしたいというのは、グリーン先生です。彼の死には本当に涙した。
その後カーターがERのリーダーでやっていくのかなとも思ったのですが、彼もアフリカに去り、プラットが責任感が強いいい医者になりそうかなと思ったら、15シーズンで事故死。アビーが実にいい医者になったと思ったらルカや子供との生活を重視してマサチューセッツへ。


15年続くともうこちらにとっても生活の一部。
自分自身の15年、そういえば、15年前はここに住んでいなかった。
PCもインターネットも縁がなかった。
別の会社にいて今より収入がよかった。




ラベル:ER
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2011年02月22日

それ自体がリスク

クローズアップ現代で、結婚したいのにできない人たちの話をやっていました。

女性が相手に望む年収が400万円以上に対して独身の男性の75%くらいはそれ以下。
昭和の時代と違って先が明るいとは言えない時代、一緒に暮らし一緒に子供を育てる相手の収入が低いのではリスクが高いというので、高収入の男性を望むのももっともなのですが、もはや高齢者に近いオヤジの感覚としてはなにかつまらない生き方とも感じられます。




結婚をするというのもそうですが、そのほかにも家を買うとか、仕事を代えるとか、子供を作っちゃうなんてのもそうですが、人生で決断をする、あまりおおげさないい方は好きではないのですが、まぁそれまでと違った局面に向き合う、これはノルマンディ上陸作戦みたいなもので、絶対にこれがいいという判断は難しい。多分できない。

結果うまくいけばあんたが大将なんでしょうが、だからと言って失敗しても、それをなんとかつくろえればそれはそれで良し。

人生設計というか生活設計でしょうか、これは、必要。
とはいえ私など個人的には、お天気任せ、しっかりと計画を立て、その通りに行けば今の人ならOKなんでしょうが、私から見るとつまらない。少しやせ我慢ですけど、気持ちとしてはそう。


生きていくということは、自分でもよくわかっていないミッションを少しずつ遂行していくことなのかもしれません。それは、ミラー大尉にとってはっきりわかったのはライアン2等兵を救出することなのかもしれないし、シーシュポスにとっては永遠に頂上に届かない大岩を黙々と押し続けることなのかもしれません。




リスクは回避しようとした瞬間それ自体がリスクとなるように思えます。


人は、生まれた瞬間、最大のリスクに直面します。
死です。

それは回避できません。



私はいい年なのですが、今までに人生の最初から終わりまで体験し、これはよかったとか、体験しない方がいいよ、と悟った人を知りません。

私は、酒を飲みたばこを吸い、音楽を聴き呆け、映画を見て涙を流し、シュペルヴィエルを読み世界を違った視点で見、それでいて現実のお仕事のシーンでは案外もっともらしいことを語り周囲を説得し、そんな自分をこれもまた案外冷めた目で見ています。


現実を見て、その不都合な部分を回避しようとして、基準を設け、それを外れないようにするという生き方もそれはそれでいいのでしょう。


しかし反面、予期しないことに直面してそれを乗り越えた時、世界が変わって見えることもあります。

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2011年01月25日

実に面倒

もう一度見てしまったのですが



しかも、女房と一緒にです。


当然笑いものです。

母親にとり娘ってのは、所詮同類なのでしょうが、父親にとっては、とんでもない。


目に入れて痛くないなんてもんじゃなくて、この子がいるから生きる意味がある。



さて、リーアム・ニースン




私はもしかするとこの映画で見たのが初めてだったかもしれない。

そのイメージが強いのですが、




娘を思うオヤジの気持ち、態度、しかも、相当危ない状況、表し方が同じように不器用で、これが、実に共感できるのですが、それぞれなんとなく違う。


娘ってのは、実に面倒で、オヤジの言うことなど、決して聞かない。

少しは言うこと聞けよ。
と、思い、こちらに気を引くのですが、娘の関心はもちろんオヤジなんかではない。




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2011年01月12日

ひまわり パッション 受難

やっとこの映画が見られました。



何十年も前から、ヘンリー・マンシーニの哀愁に満ちたメロディーは私のフェイヴァリットミュージックでしたし、マストロヤンニ、ローレン、監督がデ・シーカとくれば、これは絶対に今の映画には出せない味があるのはわかっていたのですが、なぜか、映画自体を見ることがありませんでした。

イタリア映画っていいですね。
フランス映画になんかシニカルなところがあるのに比べて、



このカルディナーレ、激しい季節のエレオノラ・ロッシ・ドラゴ、ソフィア・ローレンとマストロヤンニのコンビの映画では、特別な1日のソフィア・ローレンのあの少々くたびれた主婦。

イタリア映画はパッションです。
パッション

情熱と訳す、でも、そのパッションは、ロシア戦線で生死をさまよう男には受難とも思えたかもしれません。

ひまわりは1970年の作品です。
1945年にあの戦争が終わり、そのころ20歳なら、70年には45歳。

個人の運命が世界の大きな動きに翻弄されるということを身をもって体験した世代が現役の時代でした。

映画ってのは、2度見るものです。もちろんそれなりの映画ですが。

シベリア抑留という20世紀の不条理を身をもって体験した世代には、あのロシアの雪に埋もれた大地、そこに生きる人、いや、女にとっての男、男にとっての女、そのぬくもりは、人ごとではなかったのではないかと思えます。

過ぎてしまった時代。そして、かなわなかった想い。
未練を残しながら車窓からプラットホームで見送る女を見つめる男、走り去る列車を見送り涙にくれる女、これは、かって今の私より若かったにも関わらず私などよりよっぽど人生の深淵をみた連中にとっては、自分自身だったのかもしれません。






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2011年01月04日

”大人の女”

こういう父親を娘がどう思うかと言うと、

「実にうざったい!」
でしょう。


若い娘ってのは、実の娘でも別の世界の存在で、それをおやじの尺度で測るってのがそもそもの間違いなんで、逆に言うと、別の世界を垣間見させてくれる貴重な存在です。


さて、若い男はどうかと言うと、これは一部の若い男性の趣向かもしれませんが、



同年代の女の子では決して味わわせてはくれない別の世界を知らせてくれる”大人の女”

これは考え方とか経験の豊富さなどと言ったしゃれたものではなく、はっきり言って下半身の問題です。

この映画、そうした下半身の問題から、社会、法、歴史につながる。

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2011年01月02日

かけがいのない存在だからまもりたい

父親にとって娘ってのは、一種特別な存在です。




命がけなんて言葉はそうそう使えるもんじゃないのですが、娘が万一なら使える。

この一見しょぼいオタッキーなリーアム・ニーソン、私は特殊部隊の一員であったことなどないのですが、このカラオケセットを買うところなど、共感するほかない。妙に細かいことにこだわるその性格、仕事に時間を取られ、それも家族、とくに娘の将来を考えてのワーカホリック。

これが報われない。


娘のおやじになってしまうってことは人生で最も甘美で切ないことなのかもしれません。

大事に思い、自分の経験からのアドヴァイス、サジョストをすればするほど、娘のことを思えば思うほど、おせっかいで、ウザいおやじになるほかない。


女を口説くなら、手管もあるでしょうが、娘に対しては、そんな手管は、使うべくもない。
故に、まっとうに、ストレートに気持ちを表すのですが、それが、多分、それが娘にはうざったい。


かけがいのない存在だからまもりたい。
その気持ちをストレートに表すと、拒否される。でも、どうしても、余計なおせっかいを出さずにはいられない。

posted by スローレイン at 01:04| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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