2011年04月18日

小さな現実、大きな危機

日常の空間というのは、私のようなタイプの人間にとっては、そちらのほうこそまぼろしの世界で、本来の空間というのは、沖合に館が見えたり、海の中にどこまでも続く壁があったりする世界こそがリアルな世界です。



実際に起こってしまった大きな災害に際し、想定外などという安易な言葉が乱発され、批判も起きていますが、目先の小さな現実だけが想定内としかイメージできない人たちが大きな危険を含むプロジェクトをマネジしている。


この写真展はお勧めです。

ベッティナ・ランス

図録は紙質がいまいちな感じでいただけないのですが、でかくてリアルなプリントには圧倒されます。

近くにより、一人一人のモデルを見つめてその存在感のすごさもさることながら、数歩引いて会場の写真をトータルで眺めた時、この写真家の世界観が迫ってきます。





人間にとってリアルな世界というのは、たとえ理屈に合わなくても自然に視界に入り、恐れ、不安を感じていてもそこに近づくかざるを得ない、そういった物体がある世界です。




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2010年08月22日

行ったほうがいい

国立新美術館でマンレイの展覧会をやっています。

これは行ったほうがいい。


それと、東京都写真美術館でやっている
私を見て!ヌードのポートレイト
という展覧会もお勧めです。



マンレイって人は、超有名な人で写真集も持っています。
被写体がジャン・コクトーだったりしたり、写真の舞台がモンマルトルだったりするのでてっきりフランス人だと思っていたら、ちがっていたんですね。

あの時代の、ダダとかシュールリアリストとかってやたら多くいて、だれがどんな作品の作者だかってのがいまいちよくわかっていません。それに、だれかとだれかとのかかわりなども錯綜していてこれもまた、へぇそうだったのかの世界です。

今回の展覧会でもマンレイとエリュアールとのコラボレーションが展示されていましたけど、こうした作品があるってのは実は知らなかった。


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2010年02月12日

銀色に輝く庭園

本を読むということは、非常にイクサイティングなことで、書店で気に入ったタイトルや名前を知っている著者の本を手にし、ぺらぺらとめくる。

昨夜、いや、もうおとといの夜、例によって夢を見ました。

私は、自分の夢の世界が大好きです。
いつも、心地よい感覚があり、その場に引くつけられ、もっとよく見たくて目を近付け、よく見れば見るほど、本当は変化するはずがないものが、形を変え、まるで生きているように、私の感覚にこたえる。

シルバーというのは、先日見た夢で、灯りが消えた後の庭園。
これが、月明かりを浴びてでしょう、銀色に輝いている。

もはやよく覚えていないのですが、昼間、もちろん夢の中の昼間ですが、その時は、木々は緑、空は青く極ふつうの世界だったのに、陽が落ちると、あたり一面が銀色で金属的な輝きを放つ世界に変容しました。



フロイト流に解釈するとやばいとも思えるのですが、私の夢、これ結構建物が出てきます。

建物の外側はかなり威圧感があるようでいて、夢の中の私は、威圧感を感じながらもその中に入っていきます。

いつも内部の造りは複雑で、明るい空間と暗く複雑な階層があり、戸惑いがなにかそこでは当然の感覚で、なにかおかしいんだけどという感覚がそこでは当たり前と思える。



さて、目に見える世界ですが、私の写真のサイト、光と影のフーガ、これを移動しました。

こちらです。

Ajaxをいくつか使っています。
ほとんど、コピーアンドペーストで作れます。

ちなみに今使っているカメラは、



なんかいいですよね。

ニコンって。

解放F値の明るいレンズを使うのもいいです。
そのうち、自分で撮った写真をアップしましょう。









ラベル:
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2009年11月14日

単焦点レンズ

ここれは、誰にでもあると思うのですが、好きなタイプの異性の顔ってのがあります。たぶんあると思う。


私の場合、では、どういう顔かというと、実は、夜電話で長話をつき合わせてしまった先生がその顔でした。

電話の翌日だったかその次の日だったか覚えていないのですが、授業だか通りすがりだったか、出会ったとき、ちょっと微笑んでくれたことだけは覚えています。


私が若かった時代は、第1次世界大戦の後の時代でもなかったし、マルヌ川のほとりに住んでいたわけでもなかったし、相手の名前もマルトでもなかったし、私自身も肉食系でもありませんでしたし、



時代は、昭和のまだ、高度成長が続いていたころでした。


微笑んだとき、そうそうその先生は、眼鏡をかけていました。その眼鏡の奥の目がやさしく、そして、口元には小じわがあったことを覚えています。

それなりのお年でしたので、もちろん結婚していて、御子さんもいて、学校の教師などほとんど小遣い稼ぎのためと、巷間言われていました。

当時は珍しかったと記憶していますが、車で通勤し、他の教師がダサかったのに比べて、オシャレな印象もあり、今でいえばシロガネーゼとでもいった、ガキには手の届かない女性の象徴だったのかもしれません。





女性を撮るなら、50mmの方がいいのかもしれませんが、少し寄りたい。


バックは、つきなみでしょうが、1枚は、新緑を逆光で。

そして、もう一枚は、校舎の中、それも木造で薄暗く、窓から差し込む、校庭の並木越しの薄暗い明りだけの廊下で微笑む先生を

微笑むまなざしと、口元にだけ焦点を合わせて




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2009年10月11日

番地表示

コックさんは、3人くらいいます。

年配のコックさんが、若手に指導しているらしい。
その年配のコックさんは、結構いかつい顔をしているので、若手をしごいているのかと思ったのですが、よく見ていると、顔はごついのですがとても丁寧に調理の仕方を教えている。

若手も2人いて、この2人も年配のシェフの言うことを熱心に聴いている。


すごくいい雰囲気の店だなと思い、店の左手を見ると、窓ガラス越しにテーブルが見える。
案の定、繁盛している店で、窓際の席であまり若くはないけどいい雰囲気のカップルが語りあっているのが見える。


そうだ、今夜の夕食は、家からも近いのだから、ここで摂ろうと思います。

そう思い、店に近づこうとすると、私は自分が、店の横にいることに気付きます。

表から見た店が繁盛していたのにもかかわらず、店の横からは、人気が感じられません。

空は曇っていて、湿気が感じられ、店の壁は、石造りが木造か判然としませんが、ところどころ苔が生えていて、見上げるとその壁に住所表示が打ちつけてあります。

そして、その住居表示のプレートは小さな楕円形のタイルなのですが、その上に、そのプレートの倍くらいの大きさのこれも楕円形のプレートが張ってあります。
その大きい方のプレートは、ピンク色で、この建物が建築として由緒正しいものだという評価が書かれたものです。

建築学的に・・・
とか
建築学会が・・・
とか、書いてあるので、記念に写真に撮っておこうと思ってカメラを取り出し、ファインダーをのぞくのですが、よく読めない。
ファインダーをのぞいた瞬間、カメラとプレートとの間に電線があり、それが視界を遮っている。

シャッターは、切ったのかきれなかったのかよく覚えていません。


不思議で感動的で、居心地よく感じられた、私の夢は、そこで覚めたようです。
ラベル:建築 ドリーム
posted by スローレイン at 01:07| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月10日

巨木

かなり長い間、私は、その巨木に見とれていました。


ふと我に返った私は、まだ、ほかにも巨木があるに違いないと思い、左の方に目を向けると、ありました。

それは、最初の巨木よりももっと離れた場所に、やはり、やたらと背の高い木が、1本だけある。

今度の木に対しては、案外冷静で、自分がカメラを持っていることに気づき、レンズをそちらにむけ、ファインダーをのぞきます。
カメラを横位置にするとちょうど木のてっぺんから下の方まで入る。

今度の木もイチョウの木みたいなのですが、もしかすると、なにか別の広葉樹か桜かもしれない。これもまた、とてつもなく大きな木なのですが、最初の木ほどの圧倒的な存在感はなく、ファインダーをのぞいてシャッターを切っても、当たり前の木の写真を撮ったとしか感じられない。


これは、過ぎ去った時なのかもしれない。
ラベル:巨木
posted by スローレイン at 01:21| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

暗い道の方へ

私は、オバちゃんが来た道、その道は、背の高い並木が続く明るい道なのですが、そちらへは足を向けずに、逆に方向に進み始めます。

ちなみにオバちゃんの来た方向は、道が二又に分かれていて、オバちゃんが来たのは、並木道からではなく、正確に思いだすと、並木道の右手の方の、家が立ち並ぶ道からだったような気もします。
その道は、オバちゃんが今夜の味噌汁はしじみといったように、川に沿った道のようでした。

その道も暗い感じではなく、割合とぬくもりを感じる、東京の下町、下町の裏の路地見たいな感じの道でした。


さて、私は、その道の逆に向かうのですが、そちらは、暗く、そちらに向かう私は、まるでトンネルの入り口にいるような気がしました。

でも、その暗い方向に向かって私は、決して不安だとかいやだとか感じることはありませんでした。
明るい方向が、目に見えるだけの世界でしかないのに対して、暗い方向は、今は目に見えないけど何か楽しいものがあるに違いないとでもいうようなわくわくするような気持でした。

実際、向かう方向が暗くて、トンネルのような感じでも、私のいるところはいつまで歩いても、右手から夕陽が差し込み、オレンジ色のきらきらした光に満ちた空間でした。



しばらく歩いて、ふと左手に目をやると、木がある。

1本の木なのですが、それが半端な大きさではない。
その大きさはたとえようがないのですが、言ってみれば、東京都庁くらいの大きさなのでしょうか、いやそれよりも大きい木です。

なんか、イチョウの木みたいなのですが、首を大きく傾けて見上げても、そのてっぺんは、雲に隠れて見えない。
近くにあるのではなく、少し距離がある。
その距離もたとえようがないのですが、隅田川を挟んだくらいの距離でしょうか、そのくらいの距離のところに、やたら大きな木がある。

たぶん雨上がりなのでしょう。
駅舎に就くまでは曇っていたのを記憶しています。
その木は、雨上がりの夕方、まだ雲や湿気の残った空気に覆われている。そしてその木を覆う雲だか空気が夕陽を浴びてピンク色にぼんやりとけぶっている。


私は、しばらくの間、その木を眺め、ともかくも圧倒されていました。
その幹の広がり、背の高さ、てっぺんを覆うピンク色の霞。
そのどれもが感動的で、いつまで見ていても飽きることがありませんでした。
雨上がりの空気はしっとりとして、ちょうど夕立の後、感じる夏の日の夕暮れみたいで、その”時”を根づかせる存在、その存在そのものが形を現したのが、その木だったのかもしれません。

posted by スローレイン at 00:35| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月07日

無意識故の

オバちゃんが自転車で去りゆくのを見送り、私は、改めて周囲を見ます。

傾きかけた陽を浴びた大地は、相変わらずピンク色に染まり、廃墟や木々は、静謐な空間と、かってここで起きた出来事を想起させ、その当時の騒乱と混乱がひと時の出来事であり、本来の自然は、静謐で、確かなものであることを、強く印象付けます。


近く、道の傍らにある低木の葉が、陽を浴びて、輝いています。

私は、カメラを向け、シャッターを切ります。



あいかわらず、シャッターの音がおかしく、明るい時であれば、きれいにシャキーンと落ちるはずなのに、グワッシャーンと半端な音をたてます。


いままで撮った、駅舎の写真などがちゃんと撮れているか確認したくて、モニターを見ようとします。
D5000のモニターをおこそうとしますが、起きない。
あるいは、おきても、画像を確認できない。

同じ夢は繰り返し見れない。
時間は取り戻すことができない。
そういうことのメタファーなのかもしれませんが、無意識故の正直さ

モニタリングして、修正する。
これは実人生では、絶対にできないこと。

自らの隠された部分が警鐘をならす、意識がしっかりしているときには決して、理解できない感覚が夢の中では、ねばならぬの形で現れてしまう。
この不思議










posted by スローレイン at 02:05| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

A Dream

駅舎の写真を一通り撮り、裏手に周ります。


裏手から店を見ると、店のオヤジが最後の仕事を終え、着替えをするのが見えたり、その店の内部というか、控室というかも木造で、置いてある箪笥なども、小津安二郎の映画に出てくるような昭和そのものの世界です。


店、というか、その”駅舎”の表の側は道に沿っていて、あまり広い空間ではないのですが、裏手は、のどかで、広々とした空間が広がり、駅舎に近いところには、草が生え、日差しをあび、田舎の道みたいな雰囲気を醸し出しています。


カメラをぶら下げた私は、その裏手の空間をぶらぶら歩き始めます。


当然西の方角でしょう。

果てしなく遠くまで、空間が広がり、ところどころ、まるで爆撃を受け破壊されたような建物が散見され、低木が傾きかけた陽を受け、輝いています。


北の方角に道があり、その道は、二股に分かれ、右の方、そちらには、高い木々があり、緑の葉が茂っています。
その並木は、たぶんポプラかケヤキか判然としないのですが、やたら背の高い木々で、うっそうとしたというより、葉の就いている部分が高いところにあるので、明るい並木道です。


その、明るい並木道をおばちゃんが、自転車でこっちにやってきます。

小太りのオバちゃんで、通りすがりに言葉を交わします。


「今夜の味噌汁は、しじみだよ」

「どこで、とったんですか?」


「潮見台だよ」


「えっ、あんなところで?」


「いるんだよ。あんなところにもね」


しおみだいという言葉から、私は、とっさに、”潮見台”という漢字を連想し、その場所は、橋がかかっていて、車の往来が激しいところをいう印象がもちました。
そんなところで、食べられるしじみがとれるということが驚きであり、意外なところを知っているオバちゃんが只者ではないという感じを同時に持ちました。



オバちゃんは、そんな会話を済ませると自転車に乗り、並木道をは逆の方向に去って行きました。

そちらの方向にあるのは、オバちゃんが来た方向が明るい並木道で会ったのとは違って、暗い、アーケードのような閉ざされた空間でした。
ラベル:dream ドリーム
posted by スローレイン at 01:21| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月02日

短焦点であかるいレンズを

このレンズがほしい




いつから、ズームが標準レンズになっちゃったんでしょうか

昔、フィルムカメラの時代、標準ってのは、50mmのF1.4


デジタルの時代、35mmならフィルムカメラのレンズに換算すればアバウトで50mm



昔、やっとニコンの一眼レフをかったころ、望遠とか広角レンズを変えなくて、いつかはと思い、やっと買い、ついでにズームも買い、んでいつもかめらにつけているのは?

と、意識した時、カメラをみると、50mmF1.4ばかり


値段が安いからって馬鹿にしたものじゃない

明るく、ふつうに目にするものがそのとおりファインダーから見える




先日、



を買っちゃいました



上のクラスのカメラはもちろん魅力的
でも、ふつうに持ち歩いて、撮る

いままで、D40の最初のころ発売されたものを使っていて、これも軽くて、実によかったのですが、さすがに、初期のタイプで600万画素、就いていたレンズにもVR、手ぶれ補正がなく、半端な明るさの時、残念ながら、ぶれが出ちゃっていたので、レンズも含めてのグレードアップです


買って正解


今度は、短焦点であかるいレンズをつけ、

posted by スローレイン at 01:15| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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