2015年04月30日

《聖プラクセディス》ヨハネス・フェルメールに帰属

日曜日の日経は書評欄、すべての書は読めないにしても少しでも多くの書を

次いで文化面、4月の私の履歴書はニトリの似鳥社長。これは、久々の大ヒット

さて、福岡先生のコラムへ

科博、コルビュジェ、フェルメール?

何?
フェルメールが東京に?

さっそくインターネットで調べると、記事にも合った通り実にさりげなく
そのさりげなさ、公務員の当り障りのない記述
「ヨハネス・フェルメールに帰属≪聖プラクセディス≫」
http://www.nmwa.go.jp/jp/information/whats-new.html

逆にそのあたりさわりのなさの中にはっきりとフェルメールの名前があるということは、真贋疑問の作品といわれながら、何か本物という確信があるのか?
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2015年04月23日

蒼ざめた馬を見よ

五木寛之の蒼ざめた馬を見よ (文春文庫)
を読みました。

プーチンさんが西側にツッパッているのを称して「新冷戦」と書かれて言われていますが、今の若い人、冷戦ってご存じなのでしょうか?

昔、ソ連という国があり、共産主義という思想があり、一部の人はその思想をもとに革命で成立したソ連という国を美化していました。しかし、ソ連は結構抑圧的な面があり、それがダメだったから崩壊しました。

「蒼ざめた馬を見よ」は、ソ連の時代の言論統制とその結果の国外出版をサスペンス風に描いた小説です。
国外出版される小説の内容がユダヤ人問題で、主人公がモスクワで出会う女性がユダヤ人というと、ヒトラーのホロコーストや東ヨーロッパのポグロムを連想してしまいます。

タイトルは、もちろんヨハネの黙示録からです。

昭和41(1966)年に発表された作品ですが、1966年は、戦争が終わってまだ21年しかたっていない時代です。終戦の時20歳であれば、まだ41歳、真珠湾からでも46歳です。当時のソビエト共産党書記長はブレジネフ、そのブレジネフは、2年後の1968年に当時のチェコスロヴァキアのプラハの春を弾圧し、戦車で抹殺します。私も頭の奥に、新聞の一面に戦車の写真が掲載されていたことをかすかに記憶しています。今の時代の、テロリズムと違って、一触即発で世界的な戦争が起こる気配が誰にでも感じられる時代でした。

その戦争の記憶は、ユダヤ人問題の小説の国外出版、出会った女性がユダヤ人、小説を書いた大作家の身代わりがポーランド人とくれば、多少歴史に関心のある人なら、1939年9月のヒトラーのポーランドへの電撃戦、1941年6月のバルバロッサ発動、虐殺収容所・・・などを思い浮かべざるを得なく、いつそれが再発するか、を思わざるを得ない時代でした。

それにしても、主人公が新聞記者で、労働運動に燃えた団塊ちょい前くらいの世代。モスクワで出会う女性、それも、クールビューティと関係をもつなんて、五木さんの主人公は、やはりかっこよすぎる。

21世紀の主人公は、永遠のゼロの半分プータロー。その姉貴が結構しそうな男は、エコロジスト。マスコミで働く姉貴の好きな男性は歴史意識からでなく今の大衆受けしそうでマスコミ的な発想から抜けられない男性。結局のところ主体性、アイデンティティを確立しそうのは、主人公の姉貴である女性。

20世紀の男性は、自分が望む望まないにかかわらずかっこよく生きるしかなかったのです。これは、時代が男に対しそう生きることを求めたからとしか言いようがありません。

蒼ざめた馬
20世紀には、五木さんの主人公がいて、ボガートがいて、ダーティ・ハリーがいて、ジェイムズ・ボンドがいて、ドプチェクがいて、イヴ・モンタンがいて、ケネディがいて、・・・

女性の立場からすると、20世紀は、自らを否定してでもついていっていい男がいた時代でした。21世紀は、女性自身が主人公です。男を選ぶのは自分自身で、男に選ばれるのではありません。

この21世紀に男は主人公になれません。男はかっこいい存在としては望まれていないのです。

蒼ざめた馬、
結局のところ、訪れたのは、20世紀にいた”男”のところだったのかもしれません
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2015年03月23日

罪と罰

パーソンオブインテレスト1STシーズンの22話「真実を追う者」でジョン・リースがぺらぺらとめくっている本はドストエフスキーの「罪と罰」です。



リース君は、タイトルが気になり手に取ったという印象ですが、その本をリースから取戻し、大事そうに手にするフィンチは、以前、読み、理解し、その本から深い感動を得た人間でしょう。

だからと言って、リースがドストエフスキーを理解し感動していないというのではなく、「罪と罰」は彼流に解消する方法を身に着けている人間です。
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2015年03月16日

妄想をディスプレイに表示させるときの道案内人

使っているPCがHPのENVY17LeapMotion
性能、デザインともに気に入っているマシンなのですが、キーボードだけはいただけない。
イルミネートキーボードということはOKです。そもそも最近PCを買うときの条件として、これは欠かせない。
日本のマシンではあまり必要とされていないようですが、テレビの外国のドキュメンタリーや映画を見ると結構キーボードはイルミネートです。
便利なのも確かなのですが、かっこいい!
ただ、Envyのキーボードは、どうもサイズが小さいようですし、打鍵した時の感触がチャチ。

そこで、外付けで使っているのがこれ



私は、Envyに寄っかからせるようにして使っていますが、適度な重さと裏面の滑り止めがしっかりしていてかなり安定して打ち込めます。

仕事でエクセルを使い、数字を分析するときとは違い闇を友とし、妄想をディスプレイに表示させるときの道案内人に光るキーボード
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2015年03月09日

漂流まじかか?高齢者の経済格差

61歳になり、年金の支給が始まるからという理由もあり。給料が大幅に減りました。

私など、福利厚生などという言葉とはまるで縁遠い中小企業の(元)従業員。元の給料が安いうえさらに減額、そうそう、退職金すら数年前に廃止してしまったような会社の(元)社員。住宅ローンも残額豊富。教育ローンすら払い終わっていない。

ピケティ先生の

この本が売れているようです。

経済格差。
日本の場合の経済格差は、高齢化が進んだせいという論があります。つまり、年をとった時、それまでの生活の中でどれだけたくわえを残せたか。これが大きいという論です。

posted by スローレイン at 00:07| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ウィークディに読む本・書籍・資料 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月10日

失われた時は、得られずともいい

子供が成人したころからでしょうか、頻りに昔の記憶が、よみがえります。

我ながら情けないのですが、その記憶の多くは、切ない映像と、あの時、ああしておけば、その後の人生はこう変わっていたろう。とか、いや、今のかけがえのない存在がいなかったら、今の自分はやっていけないという妙な二律背反で、少し冷静に考えると、それが人生の岐路だったのかもしれない、なんても思うこともあります。

自分の生活の経済的な基盤を考えると、仕事、職業の選択がありますけど、私自身はもともと根本的に霞を食っていければいいというような仙人のような考えの持ち主、よみがえる切ない映像の多くは、少女です。または、若い女性。
まぁ、その少女、若い女性も今存命なら、結構おばぁちゃんと呼ばれる存在でしょうけど、私の記憶の中では、校庭の桜並木の下を歩く少女、髪が長く色白で、私の記憶の中では、若き頃のカトリーヌ・ドヌーヴとしか思えなかった少女、木造校舎の長い廊下の曲がり角で突然出会ったとき、目を伏せ微笑みながら通り過ぎてしまった彼女になぜ声をかけられなかったのか?

大学のころ、冬のはじめではなかったかと思うのですが、夕暮れ時、教授室に行くとき飛び乗ったエレベータで思いがけず乗り合わせ彼女の論文のテーマは、ローザ・ルクセンブルクとのことでした。ローザのことなど名前くらいしか知らなかった私は、俗っぽいバイトの話に移り、
「仕事、どう?」
「大したことない。だけど、男どものお守りが面倒だわ」
彼女は、私とは別のフロアで降り、その後出会うことはありませんでした。
メールも携帯もない時代の話です。彼女は、その後授業にも出席することもなくなり、論文を提出したのか否かも定かではありません。

色白の少女にとまっどった高校の校舎も今は建て替えられ、かっての面影はありません。

大学の校舎は当時、崩壊の恐れありくらいの張り紙があったくらいでしたが、その校舎も今では、見違える近代建築。ここも昔日のイメージとは程遠い。

心の持ちようを左右しただろう人生の岐路の記憶、これは本来なら、今の自分の生活状況を考えると、優先順位は高くないのかもしれないのですが、常に打ち寄せる波のように繰り返し繰り返し、ふとした瞬間に頭の奥からよみがえり、あの時ああしておけば別に人生があったのにという悔恨と、逆説的なのですが、ああしなかったからこそ、かけがえのないい存在がいてくれるのだという確信を持たせてくれます。

ラベル:昭和
posted by スローレイン at 00:08| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 失業評論 巻頭言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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